「観察・結果・人間」の巻
人間をちょっと観察すれば、すぐに分かること。よく思われていない人について。よく思われていない人は、自分がよく思われていない事実を驚くほどよく知っている。これは大きな不満を形成する。不満のままだと落ち着かないから、なんらかのの挙にでる。いずれにしても、歪んだ性質を持ったままであることが多い。自分をどこかで正当化しようと苦心しようと試みる。だがそれすら認められない。こうなると歪みは矯正される機会を失い、歪んだまま固定される。もしかすると、この鬱屈したエネルギーを社会の有用な方向に向かわせ、駆り立てるのに成功するかも知れない。稀に偉業を成し遂げる人もいる。でも根本は歪んだままだ。だから嫌われる人は、ますます嫌われるようになるように拍車がかかる。逆に、よく思われている人は、勘違いの度合いがますます大きくなる。現実と主観的な思いとの乖離が顕著になる。ここでも歪みが形成される。例えば、普通の人が呆れるような傲慢さをみせる、などが典型的。以上、観察結果からの教訓は、明らかで、よき均衡を保つことに絶えず細心の注意を払うことである。人間の本性の欠点のひとつが、この均衡を保つことの難しさにある。極端に向かう力が強いという性質をあらかじめ認識しておく。癖と毎日の習慣の影響は、とてつもなく巨大である。悪い癖に気づき修正する。これがなかなか難しい。習慣は努力すればみえるが、癖はみえない。だけれども、悪い癖や習慣が、人格の歪みや病気などの原因の大きな因子となっているのは明白。他人は鏡とよく言われる。言葉でもそうだが、敏感な反応として鏡が教えてくれる。「注意がすべてだ」とゲーテは言った。他人に注目するより、自分自身に注意するほうが断然難しい。だから、「汝自身を知れ」という格言が何千年もいわれ続けているのだろう。他人をどうにかしようとする前に、自己の内界にもっと注意を向けるべきである。観察していると面白いことに、他人を気にするだけで、ちっとも自分について顧みない種の人がいる。もっとも少しは気にしているのだが。想像するに、恐らく自分の心と深く対峙するのが怖いので避けているのだろう。自己の影と向きあうことは、ほんとうに辛い作業であるから。
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