修正
「まず、意図的に失敗する。それも大きな失敗がいい」
「大丈夫か?危なくないか?」
「いいの。いいの。悪いところが発見できればいいから。もちろん限度を弁えてという条件付きだが」
「悪いところをみつけることができたら、修正する。修正したら再度試す。この繰り返し」
「どこかを修正するには、失敗が失敗であることに気づけばいいけれど、失敗してみないとわからない。失敗こそ教師だ!」
「最悪なのは、失敗をしないことで、次に悪いのは、失敗したことに気づかないこと」
「要するに、失敗を修正行為を駆動させる道具とする。修正箇所を明確にするために能動的に失敗をして自分に衝撃を与えるんだ」
「笑われるからと言って、失敗を避け無難に甘んずるのは、笑うほうが愚かだと思う。笑われている方は、そこから気づきを得て成長するのに対して、笑う方は、なんのメリットもない。一見すると、笑うほうが利口で、笑われるほうが愚物だと思われがちだが、まったく逆。笑われる側が得をしている」
「でも、わざわざ失敗することないじゃないの?」
「欠点を放置するなら構わないが、欠点を欠点と知りたいのなら、どんどん失敗するのが手っ取り早い」
「いい人に思われたいという欲求も理解できる。でも、笑われず、恥もかかず、失敗もしないでは、保守的になり歳を追うごとに、防衛する側に身が固まってしまう。安全に向かおうとするためで、諦めるとはこうゆうことだ。前進しない」
「どこに成長の余地があるのか考えるべきだ。いまの評価をよくしようという気持ちは、よく思われるために配慮する態度となって現れるが、それは良き評価を得るためだけの行動に直結する。評価を気にするあまり本来の自由が制限され、偽善的な言動を余儀なくされる。偽物の生活を強いられる。ほんとうの時間を生きない。冒険をしなくなる。優等生を演じる代わりに、面白くないしスリルもない凡庸な生活を受け入れる羽目になる。それもいいだろうが、安定や安全や満足からは、何ら新しいもの、発展は見込めないのは事実だろう。平和な世界にあっても、心は戦争状態である方をおれは好む。それに刺激的だしね」
「危ない奴だなあ」
「そうだよ。クルマの運転もスピード狂だしね」
「嫌だな、僕は」
「面白くなければ人生じゃない!」
「いいよ。遠慮する。君だけでやってくれ」
「お前!世界を味わい尽くさないで死んでいいのか?世界の無限の果実を味見しないまま死んで本当に後悔しないのか?」
「御免被る。そんなものいらない。勝手にやってくれたまえ」
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