パノプティコン
パノプティコンとは、功利主義のベンサムが考案した、収容施設である。中央に監視塔があり、これを取り囲むように独房が配置された円筒状の施設である。監視塔からは、それぞれの独房をいつでも容易に監視できる。他方、監視される側の囚人から監視塔の中の様子を伺うことはできない構造になっている。ここで面白いのは、監視塔の中を囚人が見ることのできない構造から、監視塔に実際に看守のいる必要がないという事実である。囚人達は看守が監視しているはずだ、と思いこんでいるから圧力を感じているが、監視塔に看守はいなくてもこの効果が機能するのは興味深い。これをいま風に応用するとどうなるか。監視カメラの電源がONになっていようがOFFになっていようが、その監視カメラが作動しているという確信があるだけで、監視の効果があるということになる。繰り返すと監視されているという確信があるだけで十分であり現実に監視カメラ(あるいは監視機能)が作動している必要はない。極端な例では、監視カメラの体裁さえ整ってさえいれば監視の効果が期待できる。こちらから監視カメラが作動しているかどうかが分からないのであるから当然である。つまり監視効果に関していうならば、監視カメラは作動している必要はなくて監視カメラが設置されており、かつそれが作動しているだろうという確信さえあればいいのである。盲点は、こちら側から監視している側の正体が分からないことにある。これらは、目に見える外側の監視についてであったが、内的な監視であるデジタルモバイル等の追跡監視はのほうが常時監視されているのと同じことなので、より深刻である。デジタル化の勢いは止められないだろうが、この監視社会をどう考えたらいいのだろうか?危惧されるのは、個人が分類され仕分けされるだろうということ。自由に個人が散らばっていた安心がなくなり、特定の個人があまねく分類され、ビックデータ によって整理されていくのを許していいのだろうか?
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