「悲劇と喜劇」とその他
正気を保つためには、どんなに深刻であっても「悲劇」として捉えることであり、また逆に有頂天になりそうな状況においては「喜劇」として把握して抑えることである。その時を演じてる一介の役者に過ぎない。「悲」も「喜」も劇となる。そして劇を越えない!人は物語の外に足を踏みだすようにつくられていない。物語に収まるようにできている。
直線だと息切れするが、螺旋曲線であれば、リズムが保てる。直線的に呼吸ができるか?直線的に心臓は鼓動しているか?直線的に身体を動かせるか?
機械には自律したリズムがない。自然には確かにリズムがある。リズムのない世界にいるとリズムが狂う。正気を保つのが難しい世の中になっている。大きな核となるべき中心をつい忘れてしまう。枝葉末節は忘れても構わない。どうでもいいことだ。もっとも重要なところに集中的にエネルギーを投入して、自己の核を揺るぎない堅固なものにする。そうすれば、翻弄されることはなくなる。とかく余計な出来事に翻弄されてしまいがちであるから。翻弄されるとは、生きていないのと同じ。他を生きているのだから当然だ。他からではなくて、こちらから他に向かって翻弄されることなしに、他に貢献するようにする。翻弄されながら、他のために貢献するよりも、自己の核を拠り所にして、自己以外の他に貢献するほうがいいだろう。ただし頑固になるということではない。この匙加減が難しいのだが。
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