スタンダード変容
社会が変化しているとき、セオリーも変化している。既存のセオリーは役に立たなくなる。保守的な意見は眉唾ものである。新たなスタンダードが生成されようとしている。これまでの価値観の崩壊に敏感であるべきだ。思考のスタート地点を決定しないことだ。固定されたスタート地点から演繹された結果は一歩も二歩も遅れることになるだろう。どこから思考を始めるのかという「どこから」が変化している。きっとだれかが不思議な行動を開始するに違いない。その人にはみえているビジョンが普通の人からは理解し難く映る。考え方の更新はいままさに要求されている。思考の抜本的な革新は挑戦であり冒険である。未来が陰鬱に思えるのは、これまでの延長線上に現実を見ているからである。しかし変化の渦中においては、これまでの(考え方の)延長線上に現実はない。情報の収集の目的のひとつは、このような社会変化の潮流を知ることにあるだろう。世の中が大きく変化している事実の確信が得られれば、自分も変えるべきこともわかる。自分はどのようにして変わることができるのだろうか。反対に、なぜ変わることができないのだろうかと問う。変化を妨げている要因は何であるか。惰性と習慣と経験に安住し過ぎるのもそのひとつである。正しいと確信していても、世の中の流れからしてみればまったくの誤りであるかもしれない。過去に正しかったものが現在では誤りである可能性もある。そうしてそのような努力が、間違って奨励されているかも知れない。いま期待に見合うことをしていたとしても、実りあるものになるとは限らない。現時点の期待されている努力は将来的な成果に結実する保証はない。というのも未来からみた場合にその努力は古いものであるかもしれないから。褒められる行動は、いま現在の価値観に照らし合わせた行動である。つまり現在の価値観に隷属した仕事によって、それが良きものと認知されているがゆえに褒められるのである。現在の一般的な価値観に適したことをやっているから理解されて褒められるのだ。だが、ここでいう現在の価値観はつねに正しいものだろうか。疑問である。将来のビジョンある人が、近未来の価値観から遡及的に考えて、いますべきことを成すだろうがあまり理解されないし、まして誉められない。それどころか批判される率が高いと思われる。いま期待されている(近視的な)仕事をするだけではなく、未来から期待されている仕事を並行して進めていくのが現実的であるだろう。
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