優れた人のリスク

優れている人の最大のリスクは、自分を優れていると思い込むことである。

なぜリスクになるかといえば、謙虚に学ぶことができなくなるからだ。

そんなことを今更なんだ、とか言って思いあがり小学生の純粋無垢な心を忘れてしまう。

みずからつくった規制の枠を決して崩そうとはしない。その枠は破壊しなければ次に繋がらないのに、いつまでも後生大事に枠を堅持して譲らない。

賢く判断していると錯覚して、せっかくの可能性を逆に不可能に分別してしまう。

時間を有効に活用しようとして、要約のみで知ろうとするが、これが全く要約になっていないことを知らずにいる。

疑えば疑いすぎ、疑われなければ、まるで疑わない。ほどよい匙加減がわからない。

権威を過大に評価して、その考えに近いことに満足感を覚え、今後の方針を立てる。

賢いといわれている権威に縋りつき、考えまでこれに合わせようとする。

共通点を探しだし、安心を求める。

教科書の信者であり、100年前の教科書や100年後の教科書を想像することはない。現代の教科書から外れていなければ正解だと思っている。

概して誤解される勇気に欠けており、成功している部分だけに注目して、誤解されるような価値の習得は避けがちである。誤って評価されることに耐えられず、評価されたものから評価されたものへと水平移動することだけが良いことだと思っている。一定水準の高評価を維持しようと努めはするが、評価を低くする重要な価値があったとしても手掛けることはない。すなわち誤解されるのを恐れるあまり、現在の評価を悪くして将来に賭けることはあまりしたがらない。

成功と確定しているものから、成功と確定しているものへ堅実に知識と経験を積むことを好み、誤解されたり矛盾に陥るような闇と謎の道を歩みたがらない。「いかにも」という道だけを好んで走るのであって道草はしないし、まして道のない場所は道だとは考えない。


以上。優れた人に考えられるリスクの主なものである。












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