目標主義批判
道草を食っているから目的地になかなか到達することができないが、道草に人生の醍醐味があると思うから、表層的かつ直線的な生き方に同意しない。目的の達成は人生の表面的な外観に過ぎない。人生は味わい深く膨らませるものであり、途中経過を犠牲にして一方向に終始しすぎるのはもったいない。知識よりも知恵を身に付けたい。あまりにも漠然としていて途方にくれる。どうしたら知恵を獲得できるか常に広く考えつづけるしかない。具体的な努力や方法がない。確立してしまえば思考は停止する。非常に難渋する。しかし、なぜ知恵に固執するのか?知恵がどうゆうものであるかなんて分かるはずがない。危機的な環境の中で生き延びる術を身につけることは一種の知恵であると考える。これこそ普遍的な知識(=知恵)であるに違いないと信じている。いつどんな状況に置かれても生き延びる知恵があれば、これこそ求める全部だ。お金は大事だが内面の充実と健康を阻害しない程度に持っていればよしとしよう。これこれをしているから安心という状況には全くないし、安心ほど知性を鈍くする敵はいない。かといって不安の持続は毒だ。知恵の先には何があるのか?もしそれが不幸をもたらすものなら考えものだ。不幸にならない程度の知恵を追求しなければならなくなる。中庸と賢者は両立するものなのか?まだまだ研究中ということにしておこう…
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