音楽が聴こえるとき

いま音楽がよく聴こえる。驚くほどよく聴こえる。むしろ聞こえすぎて辛い。もちろん耳は変わらない。よく聴こえるとは、注意が音楽の方向を向いているという意味だ。注意が向かないとき、音楽も聴こえない。あくまでも音楽であるから理解した訳ではない。だが、仮に音楽に理解という言葉を使うことが許されるにならば、はっきりと理解しているということができる。変化は心情的なものである。心のどこかに変化が生せずして急に聴こえるようにはならないだろう。非常に詳細に聴こえ、音符の一つ一つがはっきりする感覚だ。なぜ音楽が聴こえるようになったのか。音楽体験の次元が一時的に高まったのではないかと想像する。音楽体験というものが何であるのかはさておき、仮にそのように呼ぶ体験を欲望している。音楽言語に飢えているから、渇望しているから、また欠落しているからこそ音楽が聴こえるようになったのではないか。音楽言語は音楽家によって楽譜、また表現されるものは空気に書かれる。一般言語よりも先に音楽言語が誕生していたと唱える研究者もいる。とすれば、原始的な欲求の突如もあらわれと言えないだろうか?ちなみに三島由紀夫の「音楽」では、音楽が聴こえない=不感症、でしたね。

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