幻想としての正解
正解は存在しないのに、正解があると思うのは、主に安心のためである。安全装置として固定された場が欲しいのである。人間は宙ぶらりんの状況に耐えられるようにつくられていない。正解がないと主張する理由は、世界は発散しているのに、収束しているものと仮定するときにおいてのみ、正解として名前が与えられるからで、それが真実の世界を反映していない仮の正解ならば、本質的には不正解であるに違いないからだ。だが、世界というものが、発散している現象である事実を認めない立場をとるなら、正解があるものと信じるであろう。
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