節分。歴史的な!
君は何を言いたいのかね?
緊急事態宣言くん?
非常事態であるということ?
日常が非日常になり、非日常が一時的に日常になっているということか?
これまで通りのやり方を維持することに疑問符がつく。
「早くもとの生活に戻れるといいね」という一般的な見解にも疑問符がつくこと?
戻るなんてことはありません!
戻る場所が変わってきていますから。
新しく更新された環境に慣れるしかありません。
「もとに戻る」という発想はおそらく間違っている。
それは「待つ」という受動的な態度であるから。
しかし、いくら待っても、もとに戻ることはない。
世の中は進歩している。後ろ向きに進歩しない。
稀にみる環境変化に遭遇している、という現実を直視すべきです。
だれでも知っているとおり、世界中の顔に、マスクが一年以上も装着されているなんて、歴史上稀なことです。わかるでしょう?
繰り返しますが、「もとに戻る」また「耐えて待つ」という態度は、世の中の流れに逆行している。
後ろを懐かしむのではなく、これから新しく展開される世界を模索するときです。
不安になるのは、混乱の中にいるからで、確たる未来が定まっていないことが主な原因でしょう。未来こそつくられるのを待っているのだが、どうつくられるのか決まっていない状況下にあります。模索と実験と挑戦と失敗がしばらくつづくかも知れない。もちろん正解はない。影響力をもったものが仮に正解と呼ばれる。
注目を浴びるというのも影響力であって、電気自動車などもその代表格ですが、正解かどうかはわかりません。宇宙分野かも知れませんし、食料かも知れない。分からない。
分からないというよりは、先が予測しにくい。
人間は変化を嫌う生き物です。
変化するには、大胆に捨てなけれはならないし、馴染み深く染みついた執着から離れる勇気がいる。希望の光は、新しいステージがまだ未開拓か、若しくは生成過程の段階にあるということで、これから開拓されるであろう場所が、至るところに放置されているという点にある。
つまり未開拓の世界が眼の前に広がっている。
だから、発想を変えれば希望と期待で溢れている。
いま大きな歴史的な転換期を迎えていることを、強く意識するかしないかだけでもだいぶ違ってくる。
「どう乗り切るか?」と発想するよりも「変わる環境にどう対処すべきか?」と発想した方がいいと思う。
環境変化とは「働き方」や「生き方」さらには常識すらも過去の産物になる可能性があるということ。
混乱しているのは確かですが、秩序ができる前は必ず混乱します。迷路と混沌と模索の真っ只中に立っていると思えばいいでしょう。
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