自己満足と自己嫌悪

完璧を追求しないことである。なぜなら、自己満足を超過したとき、完璧であると錯覚するに過ぎないからで、完璧は主観的な幻想であるから。幻想の完璧から笑いが生じるが、これは自己満足の笑いなので虚偽の笑いである。そして言うまでもなく、自己満足になんら客観的価値もない。錯覚に満足するのでも構わないというのなら、それもいいでしょうが、外界からみたら進歩していない。また逆の場合も同様に錯覚である。つまり自己嫌悪である。絶望は自己に対する絶望だと言ったのはキュルケゴールである。自己嫌悪が過ぎれば絶望するけれども、これも幻想である。極端は避けよう。自己嫌悪も自己満足も幻想であり、実際にありもしないものなんだから回避する。極端の一歩手前で引き返すことができる技の獲得に専心したいが、容易ではない。容易どころか最も難しい。それゆえにバブルになる一歩手前で引き返すことができる平衡感覚は、賢者の特権ということができる。欲を言えばこの特権が欲しい。健全な均衡を保つことに最大の労力を注ぐことにしたい。でも困難を承知している。まずは没頭と熱中と依存性の強度と度合いについて、意識的になることから始めてみよう。全体の地図を作成して、自己意識を自己から遠く離れた地点に設置する。そうすれば少なくとも自己に埋没することはなくなる。つまり自己だけの世界からいったん離れることが可能になるだろう。ほんとうの意味で、いま自己は何をしているのかを知ることができると思う。



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