隠蔽されている存在についてのメモ

隠れているものも何処かに存在しているわけで、ないのではない。また隠されているからといって現実に影響を及ぼしていないことにはならない。(これが現実の説明を難しくしているのかもしれない)。現実はこのような非存在と見做されているものと、既にその存在が明らかになっている常識的なものから構成される。もし、現実に不備が生じているのなら、非存在の効力の関与を想定してみるのがいい。明確な証拠あるいは存在からだけで説明するには限界がある。論理的合理性や厳密な科学で説明できることだけに頼りきるのは危険である。世界から切断された一部に基礎をおくことから、その基盤は最初から不安定であるのだから。一部を全体と信じれば必ず大きな間違いが、壮大な規模で起こる筈だ。現実的に危険を回避するためには、人間の想像力の力をもっと信頼して、隠蔽されている非存在の確かさを肯定することである。非存在とはまだ論理的にならず、人知の理解から乖離しているものであるがゆえに異邦的存在に映るが、従来の規制に囚われない柔軟かつ自由な発想で接するならば、想定することにそれほど困難はないと思う。論理的厳密性は開かれた非存在には寛容ではなく、却って否定に傾く。

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