「ペスト」

『…いかにも「ペスト」という言葉が口に出されたことは事実であり、今この瞬間にも災禍は二、三の犠牲者を苛み打ち倒していたことも事実である。しかし、それはそこでとまってしまうかもしれないではないか。なすべきことは、確認さるべきものを明瞭に確認し、無用の亡霊をついに追い払い、適切な処置を講ずることである。そのうえで、ペストがやむとすれば、それはペストなど考えられなかったか、もしくは誤って考えられたためである。もしペストがやんだらーしかもこれは最もありそうなことであるが、万事うまく運ぶわけだ。それと反対の場合には、ペストというものがどんなものか、そしてまずそれに対処し、次いでそれに打ち勝つための方法がないかどうか、わかるわけだ。

 リウーは窓をあけると、市の騒音がどっとみなぎった。近くの製作所から、機械鋸の短く反復するきしりが聞こえてきた。リウーは身をゆすぶった。そこに、毎日の仕事のなかにこそ、確実なものがある。その余のものは、とるに足らぬつながりと衝動に左右されているのであり、そんなものに足をとどめてはいられない。肝要なことは自分の職務をよく果たすことだ。』

カミュ「ペスト」新潮文庫

渋谷昌孝(masataka shibuya)

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