彼シリーズ「電気の亡霊」

彼は最近とみに窮屈さを感じていた。窮屈なのは事実であるのになにせその理由が皆目わからないのであるから閉口する。現代的な病に冒されているのではないか。それなら自分ばかりではないに違いない。現代に生きる人なら余程の対策を講じるか、必死に抵抗するかしなければ現代的な病から逃れることは不可能のように思える。彼を取り巻いているものの中に人工物すなわち人の手が介入されていない純粋な自然を探すのは難しい。電気の光から逃れることは仕事を放棄するのに等しいのだから。太陽が沈んでも尚この電気の光によって無用で不必要な仕事に駆り立てられるのである。風はコンクリートで遮られ雨は屋根に遮られる。雨に打たれようものなら不審者扱いされ警察沙汰になる始末である。
彼は公園の砂場で遊んでいる子供を羨ましく思うことがしばしばある。一緒になって土を触ってみたい。だがこれも怪しまれるのは眼に見えている。電気を発明したエジソンには申し訳ないが彼の不幸の源泉を辿れば悪魔の発明に行き着くだろう。歴史的なパンデミックも拡散の原因は飛行機にあるのだから、やはりライト兄弟の偉大な仕事に憎悪の念を向けてしまう。歴史を変えてしまうような革新的な発明は諸刃の剣になり得るという宿命を担っている。天使と悪魔の両面をもっている。スマートフォンが典型である。便利だが使っている間は機械と対峙しているから、彼の方も機械的になってしまう感じがする。これらのデバイスを操作しているのは彼であるけれども、ひょっとすると彼の方こそデバイスに使われているのではないかという疑念が強くある。機械というものは究極的に実際このようなものであろう。つまり操作する側と操作される側とが逆転してしまうのだ。彼は機械に操作される割合が日に日に増していくのを感じ恐怖に怯える。
彼のなかにある温かい自然が人工的な環境によって徐々に侵食されていくようだ。感情のないロボットが幾らいたって心は満たされない。もっとも恐れるのはロボットと協働することによって生身の人間が人工的になることであり、そのことを知らずに人工知能を装備したロボットと生活するのが当たり前になる社会ができあがることだ。このときになってはもう遅く、かつての人間にはもう後戻りはできないのである。機械的な人間ばかりが蔓延り、人間であっても人工知能と見分けがつかなくなる。人間が創造したコンピュータによって人間の心そのものががコンピュータ化されてしまう。挙げ句の果てに人間とコンピュータとの境界が曖昧になる。
これは何を意味するのか?
彼がもはや人間ではなくなったことを意味する。
人間ではないとすれば、いったい何になったのだろうか?
人工物になったのである。
人間の創造した人工物に、主人であるはずの人間が呑み込まれるように従属する存在になってしまったのである。あたかも我が子を産んだ母がその子によって殺されるかのように。

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