適度な楽観
最近、とても面白いことに気がつきました。気づくのが遅すぎたきらいがあるのですが、それは楽観と悲観についてです。どのような気づきかというと、適度に楽観的になったほうが賢いということです。著名人で悲観的な人は皆無です。楽観的と言っても過剰に舞い上がることではありません。せいぜい悲観的にならない程度において楽観的になるという意味です。もしあなたが悲観的になることで、なにかメリットを見付けたならば悲観にも意味があるでしょうが、いまのところ悲観的になることで得られるメリットは何もないというのが私の判断です。ならば、適度に楽観的になるほうを選びます。人間は自然体でいる場合には、悲観のほうに流れる傾向があります。これは使わない筋力が衰えるのによく似ています。自然に放っておくと悲観に向かうのであれば、そしてそれが良くないこととして明白であるのならば、「適度に楽観的になる」という信念を持つほうが賢明であると思われます。重要なことは、悲観的になるのは安易であり、だれでもそのようになりがちであるという点です。ただし、繰り返しますが、楽観が極端になってしまっては逆効果なので、あくまでも悲観的になりやすい人間の本性を知っておくことが第一です。適度な均衡を保つことが最も難しく、なかなかできることではありません。だからこそ、ここに人類の落とし穴があるのですが。
0コメント