階段ではなかったのだ。

いつも階段を昇るのだが、踊り場に到着するや否や、次の階段が現れるのであった。そしてその階段を昇り終えてしばし安堵していると、すぐに次の階段が待ち受けているのである。なんとも気がはやい。ちょっと待ってくれてもよさそうなものだ。放心した状態で次の階段を眺めながら、私は昇るという行為そのものが、根本的な間違いなのではないかと思った。昇ることにいったいどんな意味があるのか。昇るのに必死で降りることを忘れているように思われる。とはいうものの、ここまでの距離を、また降りるというのも考えものである。実際、下界を見下すと足元が震えてしまう。昇るよりも降りることのほうが苦痛だ。この場に留まるという選択がどうしてもできない。ずいぶん道草を食った。また一歩を踏みだす。昇りきる。案の定、次の階段が出現する。そうか発想を変えよう!逆向きに回転するエスカレーターに乗っていると思えばいいのだ。昇るのに目的を持つからいけない。昇ることに成果を期待するから悪いのだ。昇るという行為が目的なのだ。足を動かすのが生きることなんだ。人工的な世界に生きているのだから、このくらいの不条理は甘んじて受け入れよう。

渋谷昌孝(masataka shibuya)

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