「・」と「→」2021.12
「問い」を図で示すならどのようになるだろう。点ではない。点では止まってしまう。「問い」は止まっているものではなく、この場から他の場の方へ向かおうとする移動的な態度である。なにかを捕まえようとする意思であり、また変化の途上である。いずれも動的なものであるから図示するならば矢印(→)で示すのが適当に思える。問われているものの方にという方向性があるので、それを矢印(→)で表してみよう。それでは、問わない者はどう表現するべきか。問わない者は止まる者、その場に留まる者であるから、点で示される。「問う」という必要性を感じていない。つまり変わらない者である。
ところで、2020〜2021年は、稀にみる変化の時期であり、いまだ現在進行形である。誰もが世界が変化する環境に半ば強制的に置かれている。環境が変わっているのは事実だから、その影響は直接間接的に必ず受ける。世界が変わるとは、同時にわれわれも変わらざるを得ないことを意味する。だが、どのように変わるのかが分からない。分からないからこそ「問う」のである。意識的もしくは無意識的に「問う」ているはずだ。以前にあったエネルギーは消えるものではなく形を変えて移動するものだから。沈黙している間に「問う」ている。いまこの状況から離脱するために「問う」ている。いくら待っていても、向こうから未来はやってこない。待っていて、やがて訪れる必然的未来に順応するという受動的な対処の仕方ももちろんある。しかしもったいない。というのは、世界が変わりつつあるときに変わるほうに関心を寄せないで無視するのは大きな機会損失になるからだ。最悪の場合には時代の波に乗れずに溺れ死ぬかも知れない。激動している今日に積極的に関わるほうが賢明であると思う。問われている(コロナ禍でどう振舞うべきかを)と同時に、能動的に問う必要に迫られているのが現在である。もしコロナ禍でなかったならば、それほど「問う」ことに興味はなかったであろう。でも、社会の構造が、今まさに更新されつつあるとはっきりと肌で感じ取れる限り、問わざるを得なくなった。コロナ禍は、まるで意思をもった何かが私たちに『あることを』訴えているように感じる。まだ分からないが、いずれ分かる日が来るであろう貴重な機会『=あることを』を与えている。残酷さと同時に絶大なる機会をも与えている。去るものがあり、新しく来るものがある。去るものを正しく判別しなければならないし、これから来るものにはもっと近づかなくてはならない。
総括してみよう。私たちは「点」であるよりは「矢印(→)」であることを要請されている。
(・)=破滅の道へ?
(→)=建設的な道へ?
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